坂上

田中角栄①

当時、新潟県には、日本人の誰もが知っている田中角栄という大物政治家がいた。ロッキード事件で逮捕された元総理大臣である。今でもその功罪について世間はかまびすしいが、新潟県のみならず、日本の経済発展に大いに貢献した大恩人でもある。

実家にいたころ、政治は遠いものだったが、テレビ新潟に就職していきなり近くなった。テレビ局は政府の免許事業だ。否が応でも政治が絡む。テレビ新潟の開局も同様である。まして、田中角栄は新潟県選出の国会議員で元総理だ。郵政大臣時代には、全国各地の多くのテレビ局に免許を与えている。そんな大物政治家の存在がこんなに近いものになるとは思ってもみなかった。新聞やテレビでロッキード事件が大々的に報道されていたことは、大学生の自分にも否が応でも耳に入っていて、世の中は「田中角栄は悪い政治家の代表」というような認識だったように思う。

その田中角栄が1972年に発表した「日本列島改造論」は、当時の大ベストセラーとなった。「今太閤」とも呼ばれた角さんの構想力、実行力がこの本に集約されている。この春先に出版された復刻版も話題になったが、今の日本列島の骨格、インフラは、この時の政策が基となっているといっても過言ではない。それほどに影響力を持っていた政治家であった。100本以上の議員立法を提出し、33本を成立させている。アイデアに溢れ、政策を実行する力は図抜けていた。こんな政治家は日本のどこにもいない。

田中角栄は、「国土の均衡ある発展」を政策の柱にしていた。太平洋側や大都市だけでなく、日本海側や日本各地を発展させることが政治の役割と考えていた。貧富の差をなくし、格差を是正するためには、日本全国に交通網を張り巡らし、インフラ整備が必要だという主張である。当時の中央官僚も角さんの考えに賛同し、政策立案においても大いに貢献している。首都圏の東京一極集中を見れば、この考えは今でも決して色褪せることのない素晴らしい政策と思う。

そんな田中角栄ご本人を会社で見たことがある。開局から2年後の1983年の総選挙の時だ。この年、ロッキード事件で実刑判決が出ていたが控訴。その田中角栄が出馬する新潟3区に、作家の野坂昭如が出馬するとなって世間は大騒ぎとなっていた。唐突に思われるかもしれないが、実は野坂昭如も新潟に遠からず縁がある。実父が県の副知事を務めていて、本人も旧制新潟高校に通っているのだ。

そんな大騒ぎの中で全国が注目する選挙戦が行われるのだが、テレビ新潟で田中角栄の政見放送が収録されることになった。本社前は新聞やテレビ、雑誌を含めた取材記者が殺到。野次馬も集まって大変な状況となった。我々営業部の社員は、そんな取材記者の動きを規制する警備員の役割を担った。手を広げ、規制された場所に入らぬよう記者たちに指示し、制止させる役割だ。

そんな状況の中、1台の車が正面玄関のロータリーに停まる。お付きの者がうやうやしくドアを開けると、主役の田中角栄が登場した。一斉にフラッシュがたかれ、テレビの取材記者やインタビュアーが声をかけて辺りは騒然となる。角さんは、車を降りると周りを見回しながらいつものように右手をあげ、堂々と正面玄関に向かってゆく。正面玄関にはテレビ新潟の社長が待ち構え、深々とお辞儀をしながら角さん出迎えていた。

田中角栄はこの選挙で22万票を獲得し、圧勝した。