上越新幹線、開業!
開局して1年半後の1982年11月15日、上越新幹線が開業した。新潟市が首都圏と約2時間で結ばれることになった。
それまでは在来線の「特急とき」で約4時間、「急行佐渡」で約5時間かかっていたので、およそ半分の時間で首都圏に行けることになった。新潟県民にとっては画期的な高速交通網の開業である。しかし、この時点では大宮発。大宮からは「リレー号」というものに乗り換えて上野まで行くという変則的な運行だったが、県民の喜びようは大変なものだった。その後、3年後には上野、9年後には東京駅まで開通することになる。これで東京駅で乗り換えれば、東海道新幹線、山陽新幹線経由で九州、または東北新幹線で仙台、岩手、青森などの東北方面に行けるようになった。
テレビ新潟を始め、地元メディアでも大々的に報道が行われた。駅では派手なテープカットの生中継が行われた。始発列車をヘリコプターで上空からカメラで追いかけ、アナウンサーが生中継もしている。勿論、東京駅でも取材カメラが待ち構えて乗客にインタビューもしている。高速で静粛、なおかつ揺れない車両の乗り心地に誰もが驚愕した。在来線の横揺れは凄かったのだ。
新潟駅を出発すると、停車駅は燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢の4駅。この豪雪地帯を通り抜けるために、上越新幹線では様々な工夫がされている。
冬の雪対策では画期的な技術が使われている。この時期、上越新幹線では重油を燃やしてスプリンクラーの水をお湯に変えて、線路に雪が積もらないようになっているのだ。さらにスノーシェルターやトンネルが多いおかげで線路に雪が積もらず、ダイヤが正確に運行されている。どんなに雪が降っても上越新幹線は運休しない。正確に運行される。今までを考えると画期的な出来事である。
一番最初のブログにも書いたが、開局した年は豪雪の年で在来線の上越線は度々運休していた。その当時は羽田までの空路もあったが、雪で滑走路が使えず欠航となることも度々だった。新潟は陸の孤島となるのが当たり前の時代だった。
それに比べて上越新幹線は雪による運休がないどころか、ダイヤが正確で1分も乱れずに東京に到着するのだ。県民にとっては革命的な出来事といっても過言ではない。時間が正確に読めることの有難さは、雪国で暮らす人々にとって言葉では言い尽くせないほどの喜びなのだ。
ビジネスでも大きな変化があった。今までは東京出張は泊りになることが普通だったが、日帰り出張が可能になったのだ。出張を楽しみにしていたビジネス族にとっては痛し痒しでもあるが、生産性が高まったのは言うまでもない。首都圏との短時間での直結により、経済的には大変大きなメリットが生まれたのである。
自分自身も恩恵にあずかった。実家が埼玉県の川越市にあるのだが、大宮から川越線で20分ほどの距離にある。このため、新潟から帰省する際は大宮まで上越新幹線を利用し、大宮から川越に乗り換えると、3時間足らずで実家に到着することができるようになった。大変な時間短縮である。
同時期に開業した東北新幹線と上越新幹線。本州の北国で暮らす人々にとって、この新幹線開業がどれほどの喜びであったか。「金の卵」と呼ばれた学生たちの集団就職や冬の季節の出稼ぎ。そこはいつも上野駅を目指した東北本線や上越線の鉄道が舞台となっていた。そのイメージがガラリと変わった。
日本列島改造論で地方への高速交通網を推進した政治家、田中角栄。上越新幹線の浦佐駅前には、右手を挙げるお得意のポーズで銅像が立っている。
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